📖 閱讀測驗 · 共用前文
今からもう十年あまりも前になる。南太平洋のトンガでの調査を終えて、東京の我が家に帰ってきて奇妙に思ったことがいくつかあった。
そのうちのひとつは日本人がやたらに忙しがっていることであった。①駅では人びとがさきを争って階段をかけあがり、プラット・ホームにとまっている電車にとび乗ろうとする。わずか三分か五分も待てばつぎの電車がくるというのに。
ラジオでは交通情報というのをやっていて、どこどこ何丁目の交差点では信号何回待ちなどと教えてくれる。さらに精神安定剤のコマーシャルは「お忙しい毎日、いらいらの連続であなたの心と体はすっかり疲れています。この薬を飲んで眠れば、翌朝のお目ざめはすっきり」などとたいそう親切である。
どれもこれも、南太平洋帰りのわたくしにはびっくりすることばかりであった。このことを会う人ごとに話すと、
「いいですなあ。むこうはのんびりしていて」とやや( ② )な返事がかえってくるのが落ちであった。
くるかこないかわからないトラックに乗せてもらおうと、半日でも一日でも道端でしんぼう強く待つことに慣らされたり、時間がもったいないという観念などない人びとの中での暮らしがある程度身についてしまったわたくしには、なぜ東京の人びとはこんなに忙しそうに働いているのか、なぜ精神安定剤の世話になるほどいらいらしなければいけないのか、さっぱりわからなかった。
おおげさにいえば、これはわたくしが自分の生まれ育った文化から受けた、③はじめての大きな文化的衝撃であった。ちなみに、当時は日本の経済が成長期にむかって突進していた一九六〇年代の勇ましい日本であった。
それから数年、どうした理由からか日本人は( ④ ) という批判が急に高まってきた。週休二日制をとり入れようとする動きと並んで、余暇をいかに過ごすかというような問題があちこちでとりあげられはじめた。ちょうどそのころ、ある雑誌で遊びの特集をする企画があり、わたくしはそこで遊びの分布図を作る作業にたずさわった。またその後、世界各地の余暇を研究する会に参加したり、遊びや余暇についての小さな文章を書く機会を通じて、南太平洋から東京に帰ってきたときの経験をおりまぜながら、もうすこし自分なりに整理してみたいと思うようになった。
③はじめての大きな文化的衝撃であった。で、なぜ「文化的衝撃であった」のですか。
A帰国した当時が、日本の経済成長期であったため。
B日本の様子が、自分の想像していたものとはあまりにもかけ離れていたため。正確答案
C南太平洋のトンガでの生活習慣しか知らなかった自分が恥ずかしくなったため。
D忙しそうに働く日本人の姿を見て、これが本来の自分の姿であると気づいたため。
答案與詳解
